開拓使期の建築

産室追込所耕馬舎(モデルバーン:模範家畜房)

1877年建築、1910年移転改築、木造2階建て

agr_ab_img_01W.S.クラークが前任のマサチューセッツ農科大学で1869年に建築した畜舎に倣って、札幌農学校第2代教頭W.ホイラーの基本設計、開拓使工業局の建築技術者安達喜幸の実施設計により1877年に建築されました。建築当初は、2階建てに地下を持つ3層構成をしていて、上層へは馬車で乾草を運び込めるよう土盛りのスロープを設けていました。床と小屋組は、バルーンフレームと呼ばれる2インチ厚の板材で造られていますが、主要構造体の柱、梁は在来構法が用いられ、設計寸法もインチではなく尺寸を用いています。

1910年の移転改築にあたり、スロープと地下層を取り払い、外壁には目打ち板の装飾を加えました。また、3階に床を設けて乾草の収蔵容積を増やし、4本の換気塔を新設しました。したがって、厳密には「モデルバーン」と呼べる形式ではありませんが、創建時の呼称が現在まで伝わっています。

種牛舎(家畜房増築)

1878年建築、1910年移転改築、木造2階建て

agr_ab_img_02家畜房建設の翌年に、下層を豚、牛、馬、羊の飼養および竈と屠殺場、上層を穀物庫および貯水槽として家畜房の北面西端に増築されました。屋根の上には揚水風車が設けられていました。家畜房と違い2インチの厚板材は用いずに、すべて在来構法で造られています。基本設計はホイラーと伝わっていますが、現存する外国人による設計図面の筆致からはW.P.ブルックスの設計と考えるのが妥当でしょう。

1910の移転改築にあたり、種牛舎とするために、基礎部分の石を高く積んで下層の階高を上げています。

穀物庫(コーンバーン :玉蜀黍庫)

1877年建築、1911年移転改築、木造2階建て

agr_ab_img_03モデルバーンと同じ1877年に建築されました。構造はモデルバーンと同様に、床と小屋組を2インチの厚板材で造り、主要構造体である柱、梁は在来構法としています。基本設計はホイラーあるいはブルックスの2説ありますが、どちらも決定的な証拠はありません。しかし、構造の類似性からはホイラーと考えるのが妥当でしょう。特に屋根の構造はホイラーが設計した札幌農学校演武場(現・札幌市時計台:重要文化財)に類似して、合掌材をカラービーム(collar beam)で繋ぎ止めています。鼠害防止のため、高床構造としています。

1911年の移転改築時の設計図面によると、ほとんどの部材が当初材を転用しており、家畜房およびその増築とは異なり、明治初期の佇まいを現在によく伝えていると言えます。2階床の補強材の交差形転び止め(cross bridging)も当初材と考えられます。

事務所(器械庫並置の事務室)

1879年建築、1910年移転改築、木造2階建て

agr_ab_img_041910年の設計図面によると、同規模の施設の骨組のみを転用したとあり、移転前の第2農場配置図から、器械庫に並置されていた事務室(1879年建築)と判断できます。小屋組がコーンバーンと同様の形式となっています。

明治末の最先端の畜舎

牝牛舎

1909年建築、木造2階建て

agr_ab_img_05第2農場の移転にあたり、最初に計画、建築された畜舎です。設計図面によると、南半分が「甲舎」、北半分が「乙舎」で、その2畜舎を中央の棟が繋ぐ形式となっています。「甲舎」は基礎に煉瓦を積み、床も煉瓦敷きとし、牛房の仕切り棒には鉄を用いています。この当時、嘱託で教鞭をとっていた岩波六郎(札幌農学校19期生、農商務省月寒種牛牧場長)の著書では、欧米で新しく開発された牛舎の形式であり、堅牢である反面、難点として冬期間に床温度が上がらずに搾乳に悪影響を与えると指摘されています。そのためか、牛房の床だけは木を張っています。「乙舎」はモデルバーンと同様の牛房形式で、基礎も煉瓦積みとしていません。搾乳効率の違いを実験的に検証するために敢えて仕様を変えたのでしょうか。

なお、重要文化財の指定時名称は「牧牛舎」となっていますが、設計図面にこの名称が記入されているだけで、『東北帝国大学農科大学農場事業報告概要』では、竣工当初から「牝牛舎」と記載されています。

根菜貯蔵室

1909年建築、煉瓦造平屋建て

agr_ab_img_06移転前の根菜貯蔵室はモデルバーンの地下にありましたが、移転に際し取り払われたので、新たに建設が求められました。冬期間の根菜の凍結を防ぐために煉瓦造としています。

 

 

 

 

緑飼貯蔵室(サイロ)

1912年建築、石造

agr_ab_img_07日本で最初の円筒形石造サイロは岩波六郎の起案により月寒種牛牧場(現・羊ヶ丘の北海道農業研究センター)に1907年頃建設されました。次いで真駒内種畜牧場(現・陸上自衛隊真駒内駐屯地)に1909年に同形式のサイロが建設されましたが、月寒と真駒内のサイロは現存しませんので、第2農場のサイロが石造円筒形サイロとしては現存最古になります。なお、煉瓦造の多角形サイロが岩手県の小岩井農場内に2棟現存(国の登録有形文化財)しています。

その他附属施設

秤量所

1910年建築、木造平屋建て

agr_ab_img_08両妻面の扉を開けば、乾草を満載した荷馬車が通過できるようになっています。建物内には荷馬車ごと計量できるトラックスケールが設置されています。

 

 

 

 

製乳所

1911年建築、煉瓦造平屋建て

agr_ab_img_09「酪農」の「酪」とは広く「乳製品」を意味します。この製乳所は乳製品、すなわちバターやチーズを製造する施設です。正面に見える白い鉄扉は氷室の扉で、外から氷を入れられるようになっており、その下の牛酪冷蔵室にパイプを通して冷気を送ります。壁だけでなく床も煉瓦で仕上げてあるのは、屋内の洗浄を簡単に行い、醗酵の際の雑菌の混入を防止するためです。

 

 

竃場

1911年建築、石造平屋建て

agr_ab_img_10学内では珍しい石造の建物で、札幌軟石(支笏熔結凝灰岩)でできています。内部には大きな竈が2つ据えられ、豚などの飼料を煮込んでいました。一角には板張りの詰め所があり、農夫達の溜まり場にもなっていました。

 

 

 

 

収穫室および脱ぷ室

1911年建築、収穫室:木造2階建て、脱ぷ室:木造平屋建て

agr_ab_img_11コーンバーンに隣接して渡り廊下を介して接続するのが収穫室です。建築的にはただの倉庫ですが、外壁の目板打ち装飾が、モデルバーンのそれを踏襲しています。また、二階床はコーンバーンと同様に交差形転び止めで補強しています。脱ぷ室内部天井部分には、動力を伝達するシャフトが遺存しています。

 

 

 

原動機室

1912年建築、石造平屋建て

agr_ab_img_12脱プ室に隣接して建てられた札幌軟石造の建物で、当初は蒸気エンジン、後に石油エンジンの原動機が据えられました。ここで発生した動力をベルトとシャフトを用いて、脱ぷ室内の器械に伝達しました。なお、2004年9月の台風18号の被害で、倒木が本建物を直撃し倒壊したため、現在は鉄筋コンクリート造の壁体に薄く切った軟石を張った仕上げになっています。