総合博物館の建物(旧理学部本館)とアインシュタイン・ドームについて

現在、北大総合博物館として使用されている旧理学部本館の建物は、外壁が茶褐色のスクラッチタイルおよびテラコッタ張りのモダーン・ゴシック風の建物で、昭和4年(1929年)11月に完成して北大に昭和新時代の到来を告げる新鮮な景観を呈した。北大構内にある鉄筋コンクリートの本格的建築としては最も古い建物であり、当初、理学部設置計画に基づき建設された。翌昭和5年(1930年)4月には念願の理学部が開学し、平成17年4月で理学部創設七十五周年を迎えた。

本建物の正面玄関から入り中央階段をらせん状に登り切ると、三階まで吹き抜けの白天井のドームが目に入る。この場所は「アインシュタイン・ドーム」の愛称で親しまれている。この吹き抜けを取り囲むように、三階の天井近くの白壁にはめ込まれたかなり大きな陶板製のレリーフ(内径87センチ、褐色の縁が幅11センチ)が目につく。
東南西北の四方の壁それぞれに、「果物(くだもの)」、「向日葵(ひまわり)」、「蝙蝠(こうもり)」、「梟(ふくろう)」があしらわれている。よく見ると、「果物」の下方には[MATIN]、「向日葵」には[MIDI]、「蝙蝠」には[SOIR]、「梟」には[NUIT]と刻まれており、仏語でそれぞれ「朝」、「昼」、「夕」、「夜」を表している。「梟」以外のレリーフには、多分製作者と思われるフランスの陶芸家のサイン(読み取り困難)と1929年の刻印がある。四つのレリーフは、この建物で行われる研究・教育には一日中、昼も夜も無い事を表わし、創立当時の理学部構成員の心意気と努力、さらには理想を示している。理学部創立当時の各研究者は息盛んで、世界の理学研究のメッカにしたいという理想に燃えていたと言われている。

このレリーフは、その当時の北大本部営繕課長であった萩原惇正技師の発案であったとされているが、「アインシュタイン・ドーム」の名称を何時・誰がつけたのか不明であり、特にアインシュタイン(1921年ノーベル物理学賞受賞)と直接関係があるわけではない。東京三鷹の東京天文台(現在の国立天文台三鷹キャンパス)に、後に「三鷹のアインシュタイン塔」と呼ばれる「太陽分写真儀室」が、本学理学部建設と同じ1930年に完成している。1935年に北海道帝国大学理学部教授となった堀健夫は、ベルリン郊外ポツダムにあるアインシュタインの一般性相対理論を検証するために作られた「アインシュタイン塔(1924年建設)」を訪ねている。その吹き抜け構造と上部のドーム状天井は「アインシュタイン・ドーム」と類似し、最上部から入った外の光が一階まで照らす設計は、塔望遠鏡を連想させる。

堀教授が北大に着任した頃は、日本の天文学・物理学界で「アインシュタイン塔」が話題に上っていたと思われる。自らの専門分野・分光学との関係で「アインシュタイン塔」に強い関心を持ち、さらに実際にそれを見たこともある堀教授が率先して、積極的に「アインシュタイン・ドーム」と呼んだ可能性が高いと考えられる。

松枝大治(名誉教授・元館長)寄稿