江田真毅(研究部准教授/動物考古学)

オホーツク文化の土器と香深井村のジオラマ

考古学は遺跡から出土した「遺物」と、その土に残された痕跡である「遺構」から人類の過去を復元する学問です。遺跡にその遺物や遺構が残された背景には、何らかの理由があるはずです。考古学者の仕事は断片的な証拠をつなぎ合わせてその謎を解き明かすことです。当館の「考古遺物の世界」では、「謎の海洋狩猟漁労民」とも呼ばれるオホーツク人の残した遺物を展示しています。これらの遺物は、オホーツク人の謎の解明に大きく貢献した礼文島の香深井1遺跡から出土したものです。 オホーツク文化は、本州における古墳時代の半ばから鎌倉時代(4 ~ 13世紀)にかけて、オホーツク海の南半沿岸一帯に展開した文化です。オホーツク文化の遺跡は砂丘や海岸段丘上に位置し、オホーツク人が海と強く結びついた 生活を送っていたことがよくわかります 。オホーツク人の由来は諸説ありますが、人類学的な分析からは現代のアムール河下流域に住むウリチ民族などの人々に近いとされています。

北海道大学では、1966年に開設された「北海道大学文学部附属北方文化研究施設」において、オホーツク文化の本格的な研究がスタートしました。北方文化研究施設が1969年から1972年に調査した遺跡が礼文島の香深井1遺跡です。礼文島は北海道の北端・稚内の60kmほど西にある島です。レブンアツモリソウなどの高山植物が平地でもみられることで有名です。香深井1遺跡の調査では、オホーツク文化の前期から後期までの数百年にわたる厚い文化層の重なりが発見されました。土器や石器、骨角器、貝や動物骨などたくさんの遺物とともに、オホーツク文化の竪穴住居址6軒と墓 3 基などがみつかりました。

これらの遺物や遺構の詳細な分析から、世帯あたりの占有面積や集落全体の世帯数・人口、漁労を中心とした生業の季節的なサイクル、ヒグマやクジラを対象とした祭祀、石器や鉄器の素材あるいはヒグマやシカなどの動物の交易など、香深井1遺跡にあったオホーツク文化の人々の生活や社会の具体的な様子、そしてそれらの時間的な変化が明らかになりました。これらの知見は、発掘から50年以上が経過した現在でもオホーツク文化を語るうえで欠かせないものとなっています。

香深井1遺跡から出土した遺物は、総合博物館の設立とともに当館に移管されました。その後、当館の展示資料として活用される一方、学内外の研究者によって最新の研究手法を用いて調査・研究されてきました。たとえば、展示でも紹介している住居内の骨塚(≒祭壇)からみつかったヒグマの頭骨からDNAを抽出し、現在のヒグマと比較した研究があります。その結果、成獣が道北地方に由来するのに対して、幼獣には道南地方から持ちこまれた個体も含まれることが分かりました。当時、道南地方には続縄文文化と呼ばれる別の文化圏の人々が暮らしていたことから、ヒグマに対する畏敬の念や価値観を異文化の間で共有していた可能性が考えられています。

香深井1遺跡から出土した遺物は、今後も最新の手法を用いて研究されることで、オホーツク文化に関する新たな知見を提供し続けると考えられます。資料の破損とその分析から得られる知見、教育・研究への活用と後世への引継ぎを天秤にかけながら、適切に管理していきたいと考えています

ジオラマで再現された香深井村の住居の内部構造

アホウドリ科の骨で作られた針入れ

オホーツク文化のヒグマの儀礼に関する展示

『北海道大学総合博物館ニュース』36号(2017年12月)6ページより